ウィーン窯のトルココーヒーカップ(テュルケン・コプヒェン)。
18世紀、ドイツ系磁器メーカーにとって、トルコ(オスマン帝国)は重要な輸出先でした。もともとヨーロッパではトルコ趣味(テュルクリ)が流行しており、ヨーロッパでコーヒーが流行したのもテュルクリの影響です。当然、交易は重要視されており、とくに神聖ローマ帝国ハプスブル家のお膝元であるウィーンはドナウ川を通じて大国であったオスマン帝国領へと通じる最重要拠点であり、ウィーン窯にとっても、オスマン帝国市場は重要市場で、多く輸出されました。トルコでは西洋とは違い、ソーサーを使う文化はなく(もともと金属製のホルダーなどを使う文化がある)、いかにも東洋と西洋の間という独特な雰囲気をもったスタイルでした。
このようなオスマン帝国市場向けはウィーンだけでなくマイセンやニンフェンブルク、アンスバッハなどドイツ南部の多くの窯で製造され、数百万の輸出がありました(トルコだけでなく、北アフリカやヨーロッパ在住のイスラム系住民にも販売されていました)。たいていの絵付けは専門の工房にて行われ、輸出されました。このカップもウィーン窯で絵付けされたものではなく、専門の工房にて絵付けされたものと考えられます。ナポレオン戦争により、このようなトルココーヒーカップの輸出は衰退することとなります。
刻印からすると第3期(ゾルゲンタール期)の製品です。
轆轤師番号あり(明確に読み取れず番号は不明)。
※日本のぐい呑みのような小ぶりなカップです。サイズご注意ください。
年代/PERIOD | 1802年頃 |
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刻印 /MARK | あり、年代番号、轆轤師刻印あり |
状態/CONDITION | 良好(多少スレあり) |
サイズ/SIZE | 直径5.6cm 高さ4.2cm |