18世紀のシレジア、もしくは北ボヘミア(ハラフ)で作られたグラス。
「EUROPA」との題でエングレーヴィング装飾が施されたグラスです。このエウロパは単なる神話のエウロパの話ではなく、世界における大陸としてのヨーロッパの寓意として描いています。
17世紀から18世紀にはこのような題が付けられ、寓意表現され、装飾されたグラスというのが1つの流行形式としてあります。特にそのデザイン元はそれ以前の版画をモチーフにすることが多々ありました。北ボヘミアでガラス生産の中心となっていたハラハ伯爵領有のガラス工房ハラフについてまとめた書籍『FROM NEWWELT TO THE WHOLE WORLD 300 YEARS OF HARRACH GLASS』のP.46には同じ「EUROPA」と題された、このグラスとは異なるデザイン(馬にまたがる男性)のグラスが掲載されており、それはJohann Georg Hertlの版画をもととしていることが記載されています。
このグラスのデザインも恐らくは元となる版画があったものと考えられます。一番近いのは、確認できる範囲として、Julius Goltziusによる「EUROPA」(The Four Continentsより)によく似ています(メトロポリタン美術館より、
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/420207?sortBy=Relevance&ft=Julius+Goltzius&offset=0&rpp=40&pos=1)。大航海の時代から18世紀には、このように他大陸を意識することが1つの流行としてありました。王冠・宝珠のレガリアを身に着けているのが特徴で、ヨーロッパは世界の王であることを表しています。馬をひく天使はキリスト教の寓意です。
他にも、当時は五感、四季の寓意などもありました。
特徴的な形状で、全体にカット装飾が施されており、絵は当時の力強く、丁寧なエングレーヴィングで彫られています。力強さと繊細さの両方が感じられるのがこの時代のガラスの特徴です。
【シレジアのガラス】
シレジア(Silesia)は現在のポーランド南西部からチェコ北東部にあたる地域で、ヨーロッパでも複雑な歴史を持つ地域である。18世紀においては神聖ローマ帝国領のボヘミア王国に属し、ハプスブルク家が支配していた。 ボヘミアとシレジアの間にはクルコノシェ山脈があり、ここでガラスの原料に使われる良質な珪石が取れていたが、ガラス原料に不可欠なソーダ原料がなかった。ボヘミアでは17世紀はソーダ原料をイタリアより輸入していたが、輸送途中における他工房の妨害・略奪等があり、不安定であった。そこで、ボヘミア間の高地の森林からソーダ灰の代わりとなる木灰を作り、ソーダ灰の代わりとして使用したガラスが製造されていた。これが一般的にカリ・ガラスと呼ばれるようになり、シレジアではボヘミアに注文をし、シレジア独特の美しい形状のガラス素地を輸入していたことが多かった。 シレジアのガラスといえば、その彫刻技術が知られている。イェレニャ・グラ(ヒルシュベルク)を中心にカットとエングレーヴィング技術が開発・発達し、ヨーロッパでも随一のシレジア特有の優れた作品群を生み出し、各国の王族貴族から注文を受け制作するまでになった。ところが、マリア・テレジアが即位すると、オーストリア継承戦争(第一次・第二次シュレージエン戦争)、そして七年戦争(第三次シュレージエン戦争)と長い戦争が起こっていまい、その過程でシレジア・ボヘミアのガラス産業は次第に荒廃していった。
参考文献 Bibliography
・『Das Bohmische Glas 1700-1950 BAND I Barock・Rokoko・Klassizismus』P.93に同スタイルのグラス掲載
・『FROM NEWWELT TO THE WHOLE WORLD 300 YEARS OF HARRACH GLASS』
・「Allegorische und mythologische kupferstichvorlagen im glasschnitt des barocks」(Brigitte Klesse、『Journal of glass studies』 Vol.14、1973)
・メトロポリタン美術館
年代/PERIOD | 1760年〜1780年頃 |
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刻印 /MARK | - |
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状態/CONDITION | 上部に小チップあり |
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サイズ/SIZE | 高さ 14.4cm |
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