18世紀後半のシレジアのグラス。
「Junius」(ユニウス、6月)の文字とともにザリガニ(ロブスター)を持つ人物(蟹座、6月)、脇には動物、背景には自然が力強いエングレーヴィング装飾で彫られています。16世紀のポーランド学者ヨハネス・ヘヴェリウスによる『Uranographia』には蟹座としてザリガニ(ロブスター)が描かれており、少なくともシレジアの地域では蟹座は蟹ではなくザリガニと考えられていたと思われます。
裏側には「Freunde hinterm Rücken」(直訳で友人の背後に(隠れて))とあります。恐らくは12か月それぞれのグラスに違う文字が彫られ、つなげると一つの文章になるのではないかと思います。
『Form-und Sherzglaser Gerschliffene und geschnittene Glaser des 17. und 18. Jahrhunderts』に同類のグラスが掲載されており、そこには「Hackerglaser」と紹介されています(異なる月のグラスに「Hacke」(鍬)の字が彫られている)。これはシレジアの伯爵クリストフ・レオポルド・フォン・シャフゴチが1698年に設立した「Hackebruderschaften」(鍬同胞団)のメンバーが身に着けていた小さな鍬型のバッジをグラスの縁にかけて、それを落とさずに飲み物を飲み干すといった習慣があり、その友愛を示すグラスでした。
こちらのグラスもその類似のガラスと考えれます。シレジアの全盛期と比べると一段落ちる彫りですが、彫りの力強さは健在なエングレーヴィングです。ボヘミアに近い、イェレニャ・グラ(ヒルシュベルク)で製造されたものと考えられます。
【シレジアのガラス】
シレジア(Silesia)は現在のポーランド南西部からチェコ北東部にあたる地域で、ヨーロッパでも複雑な歴史を持つ地域である。18世紀においては神聖ローマ帝国領のボヘミア王国に属し、ハプスブルク家が支配していた。 シレジアでは良質な原料が取れず、ボヘミアに頼った。ボヘミアとシレジアの間にはクルコノシェ山脈があり、ここでガラスの原料に使われる良質な珪石が取れていたが、ガラス原料に不可欠なソーダ原料がなかった。ボヘミアでは17世紀はソーダ原料をイタリアより輸入していたが、輸送途中における他工房の妨害・略奪等があり、不安定であった。そこで、ボヘミア間の高地の森林からソーダ灰の代わりとなる木灰を作り、ソーダ灰の代わりとして使用したガラスが製造されていた。これが一般的にカリ・ガラスと呼ばれるようになり、シレジアではボヘミアに注文をし、シレジア独特の美しい形状のガラス素地を輸入していた。 シレジアのガラスといえば、その彫刻技術が知られている。イェレニャ・グラ(ヒルシュベルク)を中心にカットとエングレーヴィング技術が開発・発達し、ヨーロッパでも随一のシレジア特有の優れた作品群を生み出し、各国の王族貴族から注文を受け制作するまでになった。ところが、マリア・テレジアが即位すると、オーストリア継承戦争(第一次・第二次シュレージエン戦争)、そして七年戦争(第三次シュレージエン戦争)と長い戦争が起こっていまい、その過程でシレジア・ボヘミアのガラス産業は荒廃し、その見事な技術は失われてしまうこととなった。
年代/PERIOD | 1700年代後半 |
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刻印 /MARK | なし |
状態/CONDITION | 上部縁に小傷、若干の磨き直し、金彩スレあり |
サイズ/SIZE | 高さ 14cm |
※状態についてはコンディション(商品状態)についてをご覧ください。