ヨーロッパではもともと磁器生産がほぼされていなく、王族や貴族は中国や日本からもたらされた磁器を集めていました。良質な磁器の開発は重要な課題でした。最初に開発をしたのがザクセンのチルンハウス、そしてベドガーでした。ベドガーはアウグスト王の命を受け、硬質白磁の開発を完成させました。そして、これがマイセン窯の始まりともなりました。 一方、イギリスでは1740年頃にチェルシー窯やボウ窯にて軟質磁器が製造されました。 ウースターではソープストーンを使用した熱湯に耐えられる磁器が開発されるなど、様々な窯で開発競争が行われました。1799年にはスポードがボーンチャイナの製品化に成功し、ウェッジウッドでも牛の骨灰を加えたボーンチャイナの製造に成功するなど、イギリス陶磁器はボーンチャイナとともに発展していくこととなります。 イギリス初期の陶磁器は窯印がないことが多く、あったとしても同様のマークを複数のメーカーが使用しているなど、マークのみからの特定は困難です。また、絵付け専門の工房などもありました。
イギリスでは意匠登録制度が発達しており、1842年以降、登録されたものはレジストリーマークが刻印されているものもあります。
イギリスレジストリーマーク一覧(PDFファイル)
1775年
ジョン・エインズレイがストーク・オン・トレントに開業
息子ジョン・エインズレイ2世が発展させ1861年に新工場を設立。1886年にジョンはロングトン市長となる(〜1890年)。
1931年
チューリップシェイプのカップ&ソーサーを制作し、メリー女王に献上される。
1941年にはエリザベス王妃のための食器を制作。1997年にはベリーク窯と提携、現在まで続く。
【出典】エインズレイ公式HPより
1912年の資料より。H.Aynsleyはジョン・エインズレイが息子Herbert Aynsleyのために購入した工場がはじまり。
エインズレイの刻印はそれに付属する文字(ENGLANDやBONE CHINAなど)の種類によって年代が異なる典型的なイギリスのスタイルの刻印。
1776年
ジョサイア・スポード(Josiah Spode)が開業。
1784年頃に釉下転写技術を開発、1792年にボーンチャイナを開発するなど発展。
1833年
W.T.コープランドとトーマス・ギャレットが買収する(コープランド&ギャレット)。
その後、W.T.コープランドが単独でオーナーとなる。優れたパリアンウェアを制作したり、C.H.Hürtenといった絵付師を登用した。
1966年
コープランド家から経営が離れる。
その後は経営権が何度か移り変わり、その過程でロイヤルウースターと合併、イギリスのスポード工場は2008年閉鎖となったが、Portmeirion Groupにより別工場にて現在まで続く。
【出典】SPODE MUSEUM TRUST
1912年資料より。
1833年〜1847年のコープランド&ギャレット期の窯印。スポードは長らくコープランド家のもとで続くこととなった。
1790年代
ジョン・ローズ(John Rose)が開業(John Rose&Co.)
1799年にカーフレイを引き継ぐ。セヴァーン川のコールポートと、2マイル離れたカーフレイの2つの工場を持ち、当初は白磁出荷を行っていった。1814年からはコールポート工場のみとなる。1820年には素地や釉薬の開発により芸術協会の金賞を受ける。トーマス・ブレントナルといった花絵付師が活躍し、ロココ・リバイバルの流行にのる。
1840年頃(出典:メトロポリタン美術館)
1841年
ジョン・ローズ死去。
経営は甥のウィリアム・ローズ(William Rose)とウィリアム・ピュー(William Pugh)に移る。ランドルやクックといった優れた絵付け師によりフランス風の作品を製作。
1880年
Coalport China CO.となる
ピーター・ブラフ(Peter Bruff)が買収。アメリカなどへの輸出を中心に、華麗な磁器を製造。
ジャポニスムの影響を受けた作品も多く製造した。 1881年〜1891年(出典:メトロポリタン美術館)
1924年
コウルドンに買収。
1926年には工場閉鎖、コウルドン工場に統合。1967年、ウェッジウッドグループに入る。
コールポートのマーク「A.D 1750」は前身を含めた創業年として使用されている。
【参考文献】『COALPOT 1795-1926』(1995、Michael Messanger)
1861年
ミントンやウェッジウッドで修行していたジョージ・ジョーンズが開業。
1872年よりボーン・チャイナの制作を始め、トレードマークとして「Cresent」を登録する。1893年にジョージ・ジョーンズが亡くなった跡も家族によって引き継がれ、会社は1951年まで続いた。
1822年
スポードで働いていたヘンリー・ダニエル(Henry Daniel、1765-1841)がが開業。
1872年よりボーン・チャイナの制作を始め、トレードマークとして「Cresent」を登録する。1893年にジョージ・ジョーンズが亡くなった跡も家族によって引き継がれ、会社は1951年まで続いた。1826年に息子のリチャード(Richard Daniel、1800-1884)が加わり、優れた絵付けの製品を製造した。1846年まで磁器を製造したが、その後の経営に失敗し破産。短期間しか製造していないことや作品が優れていたことで現在では人気が高い窯の一つとなっている。
1751年
医師のジョン・ウォール(John Wall)とウィリアム・デイヴィス(William Davis)によって設立。
ブリストルの磁器工房からレシピや器具を得て、熱湯に耐えられる磁器を製造。コーンウォールのリザード産スープストーンを使用。マグネシウムを多く含んだ素地で、この素地製造法は各所へ流出し広まった。ソープストーンを使用した磁器は改良を重ねながら、1840年まで使用された。
1783年
トーマス・フライト(Thomas Flight)が3000ポンドで買収、チェンバレン(Chamberlain)が独立した。
トーマスの息子ジョセフとジョンも加わった。チェンバレンはカーフレイ製品の絵付けや、フライトからも少量ではあるが磁器を仕入れていた。1789年にはロイヤルの称号を得る。1792年にマーティン・バー(Martin barr)が加わる。1804年にマーティン・バーJrが加わり、バー・フライト&バーに変更した。1814年には優れた絵付け師であるトーマス・バクスターも働いた。マーティンが死去し、Jrの兄弟であるジョージ・バーが1808年に加わり、フライト・バー&バーとなった。
チェンバレンは当初カーフレイから多く素地を購入していたが、1797年には他所からレシピを購入するなど、独自の素地も開発し、自社製の独自の硬質磁器を製造した(phosphatic porcelain)。
1840年
独立していたチェンバレンと合併。
1852年にW.H.カー(Kerr)とR.W.Binns(ビンズ)によってチェンバレンが買収され、1862年ロイヤル・ウースター(Worcester Royal POrcelain Company Limited)と名称を変更する。1878年パリ万博にて金賞を受賞、その後もグレンジャーなどの工房を合併し成長していった。
1860年代より年代別のマークが用いられる。マークの王冠付の球の周りに何が書かれているかを見る。1867年から1890年の例↓
A=1867 B=1868 C=1869 D=1870 E=1871 G=1872 H=1873 I=1874
K=1875 L=1876 M=1877 N=1878 P=1879 R=1880 S=1881 T=1882
U=1883 V=1884 W=1885 X=1886 Y=1887 Z=1888 O=1889 a=1890 となる。
※1862年〜1875年はアルファベットではなく製造した年の下2桁が書かかれることもある。
※1891年以降は球の周りに"ROYAL WORCESTER""ENGLAND"の文字と点が付く。その点の数によって年代をみていく。点が多ければ多いほど新しいものである。
【ロイヤル・ウースター時代区分】
1751 - 1776 ドクター・ウォール期(Dr.Wall)
1776 - 1783 デイヴィス期(Davis)
1783 - 1792 フライト期(Flight)
1792 - 1804 フライト&バー期(Flight&Barr)
1804 - 1813 バー、フライト&バー期(Barr,Flight&Barr)
1813 - 1840 フライト、バー&バー期(Flight,Barr&Barr)
1840 - 1852 チェンバレン(Chamberlain)※チェンバレンは1783年に独立、1840年本家ウースターを買収した)
1852 - 1862 カー&ビンズ期(Kerr & Binns)
1862 - ロイヤル・ウースター(Royal Worcester)
1793年
トーマス・ミントンがストーク・オン・トレントに開窯。
1798年にボーンチャイナの生産に成功。1817年にMINTON & Sons、1836年にMinton & Boyleとなる(〜1841年)。
1849年
Hollinsと提携。
Michael Daintry Hollinsと提携、タイル部門がHollins傘下となりミントンと協力して制作。1868年に提携解除されるもHollinsはタイル製造は続け、ミントンの商品として取引は続いた。このミントンとホリンズのタイルは当時から人気があり、古典的な文様はもちろん、ジャポニスムやアーツ&クラフツなどの影響によるタイルも制作された。
1851年
ロンドン万博で高評価を得る。
マジョリカや18世紀セーブルの再現など高い技術を見せるようになり、ヴィクトリア女王にも称賛された。その後もアシッドゴールドの開発やジャポニスムにおけるクリストファー・ドレッサーやコールマンといったデザイナーとのコラボレーションによりその評価をより高めた。
1872年頃(出典:メトロポリタン美術館)
1802年
ジョブ・リッジウェイ(Job Ridgway)が「CAULDON WORKS」という磁器工場を設立。
1794年からハンリーに工場を持っていたが、この新工場で成長することとなる。もともとは陶器であったが、ボーンチャイナも生産するようになった。
1830年
JOHN RIDGWAY と改称。
ジョブには2人の息子(ジョンとウィリアム)がいて2人が引き継いでいたが、1830年にジョンが単独経営となった。その後、発展した。1856年にベイツが加わった。
1859年
ブラウン=ウェストヘッドとムーアが経営に加わる。
前年、ジョンが引退すると、Thomas Chappell Brown-WestheadとWilliam Mooreが加わった。そして1861年12月にベイツが引退したことにより、Brown-Westhead, Moore & Co.となった。
1905年
Cauldon Ltdとなる。
「Cauldon」(コールドン)の名称はブランド名として以前より使用していたが、この年から社名も「Cauldon」となった1962年、POUNTNEY&CO.LTD.に買収される。。
1756年
ダービー社設立。
1740年代アンドリュー・プランシェがダービーにて制作ははじめ、1756年にジョン・ヒース、ウィリアム・ドゥーズベリが加わりダービー社が設立された。ウィリアム・ドゥーズベリは優れた才能を発揮し、高品質の食器を製造、チェルシー窯の買収(チェルシー・ダービー)、ボウ窯の買収などで事業を成功させ、国王ジョージ3世に認められ「クラウン・ダービー」と名乗った。
1786年
ドゥーズベリ2世が継ぐ。
ドゥーズベリ2世も優れた経営者で良質な作品を製造した。1797年にドゥーズベリ2世は死去、その後はマイケル・キーンやドゥーズベリ3世などが経営した。
1815年
ロバート・ブルアの経営となる。
ドゥーズベリ家は経営から退き、ロバート・ブルアによって経営された。ブルアは伊万里焼の文様を取り入れ、会社を成長させたが、1848年に閉鎖された。残された職人たちは工房をダービーのキング・ストリートにて続けていくこととなった。
1876年
新会社設立。
1874年、ウースター社の株主の一部が新たな磁器会社設立のため、ウースター株を売却。そしてダービーに注目をし、新会社を設立した。これによりキング・ストリートの工房と新会社の2派が併存することとなった(1935年に統合)。1890年、ヴィクトリア女王より王室御用達として認められ、「ロイヤル・クラウン・ダービー」と名乗り、現在まで続く。
1815年
ドルトンらにより開窯。
ジョン・ドルトン(John Doulton)らががランベスに開窯(Jones, Watts & Doulton)。1820年にDoulton&Watts、1853年にDoulton&Coとなる。会社は2代目ヘンリー・ドルトンによって成功し、1877年にバースレムに新しい窯を設け、1882年以降ドルトンは磁器も制作するようになる。1971年、ロイヤル・クラウンダービーなどを保有していたS. Pearson & Son Ltdによって買収され、その結果Royal Doulton Tableware Ltdとしてその傘下にロイヤル・ドルトン、ミントン、ロイヤル・アルバート、ロイヤル・クラウンダービー、パラゴンなどが入る大きなグループとなった。
1759年
ジョサイア・ウェッジウッドによって設立。
1766年にはシャーロット王妃御用達となり、得意としていたクリームウェアに「クィーンズウェア」の名が与えられた。1774年にジャスパーを完成、1790年にジャスパーによりポートランドの壺が制作された。1812年にボーンチャイナを完成したがその後ボーンチャイナは生産中止した。
1878年
ボーンチャイナ再開。
ジャポニスムを取り入れたり、得意のジャスパーウェアで成長し現在まで続く。
参考文献
『Encyclopedia Of British Pottery And Porcelain Marks』(Geoffrey A Godden/ Barrie & Jenkins/1987)
『Kovels' New Dictionary of Marks: Pottery and Porcelain 1850 to Present』(Ralph Kovel、Terry Kovel/1986)
『Spode-Copeland-Spode The Works and Its People 1770-1970』(Vega Wilkinson/Antique Collectors Club Ltd/2002)
『MINTON』(Joan Jones/Swan Hill Press/1993)
『Coalport 1795-1926』(Michael Messenger/ACC Art Books/1995)
大英博物館HP
メトロポリタン美術館HP
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