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【ロンドン】【チェスター】【バーミンガム】
1781年William Aspreyにより設立。当初はシルク印刷業であった。次第に様々な身の回りの高級品を売るようになった。特にスーツケースは鉄道の発達に伴い人気を博した。1859年に王室御用達となる。20世紀に入ると優れた金銀細工職人や宝石職人を雇いさらに成長た。1990年にはガラードと合併した(2002年まで)。現代もイギリスの老舗ブランドとして続いている。この画像はAsprey & Co Ltd期(1909〜1998)の1920年代頃に使用されたもの。
【ロンドン】
ベンジャミン・スミス2世は1764年にラルフ・スミス(Ralph Smith)の子として生まれた。兄弟のジェームズ・スミス(James Smith)とともに、バーミンガムの偉大な工房であり実業家であったマシュー・ボールトン(Matthew Boulton)の工房で働いた。その後、1802年には王室御用達のランデル&ブリッジ(Rundell & Bridge)と協力し、制作をした。1807年にランドル&ブリッジと離れた後もジェームズや息子のベンジャミン・スミス3世などとともに制作をした。国王ジョージ3世に多くの銀器を納め、同時代ではポール・ストールと同格ともいえるほど需要な人物であった。現代でもロイヤル・コレクションとして王室や博物館にベンジャミン・スミス2世の作品は納められている。
【ロンドン】【バーミンガム】
電気メッキの実用化に成功したGeorge Richards Elkingtonの息子。ジャポニズムなどのデザイナーとして活躍した。この刻印は1870年頃より1885年まで使用された。【ロンドン】【シェフィールド】
1735年創業で、国王の王冠を制作するクラウンジュエラーとして知られる。ジョージ・ウィックス(George Wickes)が 設立する。1802年にロバート・ガラード(Robert Garrard Sr.)が継ぎ、一流の宝石商、銀職人として名声を高めた。1818年にはロバート・ガラード2世とジェームズ・ガラード(James Garrar)、セバスチャン・ガラード(Sebastian Garrard)が後を継ぎ、1848年よりクラウンジュエラーを務めた。1990年にアスプレイを合併(〜2002年)した。ジュエラーではあるが、カトラリー等も制作していた。
【ロンドン】
19世紀後半にカトラリーのデザイナーとして活躍し、同時代の最高の職人の一人である。【ロンドン】【バーミンガム】
アメリカの代表するゴーハム社が、イギリスの工房にて製造した(1904年〜1938年)。【バーミンガム】【シェフィールド】
アトキンブラザーズ。1840年頃からバーミンガムで活動。工房自体の歴史は古く、1750年頃まで遡り、Thomas Lowという人物により設立。その後、Henry AtkinとJohn OxleyによりAtkin, Oxley & Coとして成功する。1840年にHenry Atkin & Coとなったのち、兄弟に継がれAtkin Brothersとなる。このHAの刻印は Harry Wright Atkinとその息子Harry Atkinの時期のもので、1853年より使用されていた。【ロンドン】
ヘスター・ベイトマン(hester Bateman,1708頃〜1790)はイギリスで最も有名な女性のシルバースミスである。優れたデザインで高い評価を得た。
この刻印は1761年に登録され1790年まで使用された(長方形で"B"が少し異なる刻印もある)。
■ベイトマンファミリー■
ヘスターの息子にはピーター(Peter)とジョナサン(Jonathan)がおり、ヘスターの後を継いだがジョナサンはすぐに他界してしまい、ジョナサンの妻であったアンがそれを引き継いだ。1800年頃ジョナサンとアンの息子(へスターの孫)であるウィリアム(William)がパートナーとして加わった。1805年にアンが、1815年にピーターがそれぞれ引退。残ったウィリアムは優れた作品作り続け、1836年にはロンドン金銀職人組合の理事長に就任するまでに至った。作品数が多く、日本でも比較的認知度があり、人気も高い。【ロンドン】【シェフィールド】【バーミンガム】
1806年頃にJames DixonとThomas Smithによってシェフィールドにて創業。
この刻印はシェフィールドでは1872年頃から2004年まで、バーミンガムでは1930年代、ロンドンでも1930年代に少し使用された。ロンドンのホールマークではJDの下に&、そしてさらにその下にSがくる。
【ロンドン】【シェフィールド】【バーミンガム】
マッピン&ウェッブによる創業者のJohn Newton Mappinの頭文字を使用した刻印。「JNM」の刻印は1882年から1897年まで使用された。
この書体はシェフィールドでは1881年から1891年、ロンドンでは1884年から使用されたもの。
※マッピン&ウェッブ参照。
【ロンドン】【シェフィールド】【バーミンガム】
1775年、 シェフィールドにてジョナサン・マッピン(Jonathan Mappin)により開業。息子のジョセフ(Joseph)に引き継がれたのち、1846年ジョセフの子の4兄弟によりMappin Brothers Ltd.となる。会社は順調に発展し、1841年には1849年にはショールームをロンドンにオープン。兄弟の一番上のフレデリック(Frederick)はサー(Sir,ナイト)の称号を与えられた。その後、1859年にフレデリックは退き、1860年には一番下のジョン(John)が決別、自身でMappin & Companyを設立する。それに義兄弟であるジョージ・ウェッブ(George Webb)が加わり、1868年にMappin and Webb & Coと社名を変更、1889年にMappin & webb Ltd.となる。一方で、Mappin Brothers Ltd.は残ったジョセフ(Joseph)とエドワード(Edward)によって発展、1884年にエドワードの息子チャールズ(Charles)に受け継がれると、次第に経営が傾いた。すると、別会社(Mappin & Webb Ltd.)を経営していたジョンが手を差し伸べ1902年から1903年にかけて合併された。当初は双方の会社名をダブルネームでショップを展開した。1897年にヴィクトリア女王より「王室御用達」とされ、現在も続く世界的なブランドである。
ロンドンで1899年、チェスターで1912年から使用された刻印。
シェフィールドで1891年(1892年)から1995年、チェスターで1904年から使用された刻印。
チェスターで1904年から1926年に使用された。少し形が違うが、同様の刻印がバーミンガムで1905年から使用されている。
【ロンドン】
1791年〜1799年
※ヘスター・ベイトマン参照
【ロンドン】
1799年〜1805年
※ヘスター・ベイトマン参照
【ロンドン】
ポール・ド・ラメリー(1688年〜1751年)はロンドンの銀職人で、18世紀で最も偉大な銀職人である。1713年に工房を開く。1716年には国王ジョージ1世のための金銀職人に任命された。ポール・ド・ラメリーの銀器は特別であり、多くの博物館に所蔵されている。エリザベス2世の結婚祝いには1720年にポール・ド・ラメリーが製造したカップが贈られるなど、王室でも特別なものである。市場価格も高価であり、日本市場ではほとんど出回らない。
【ロンドン】
ポール・ストール(1770年〜1844年)は19世紀初頭における最高の銀職人である。1792年ウィリアム・フリスビー(William Frisbee)の工房に入ったのち、翌年より自身のみの刻印を使用(P.Sマーク)し、1838年まで活動した。王室御用達の宝石・金細工工房のランデル&ブリッジ(Rundell & Bridge)と協力をし販売をした。ポール・ストールは国王ジョージ3世とジョージ4世に多くを銀器を納めた。現在、その作品の多くはロイヤルコレクションとしてイギリスの宮殿をはじめ、世界各国の博物館に所蔵されている。
【ロンドン】
1793年に生まれる。1809年より修業をし、1816年に兄弟のジェームズとセバスチャンとともに継ぎR, J & S. Garrardとなる(1835年にジェームズは引退、R.&S. Garrardとなる)。1820年代にランデル&ブリッジ(Rundell & Bridge)の事業に加わり1830年頃より王室に納めるようになった。そして、1843年に正式にクラウンジュエラーとしてその地位を引き継ぐ。1881年死去。
※ガラード参照
【ロンドン】【チェスター】【バーミンガム】
Robert Pringle1世により1835年にロンドンにて創業。1882年にRobert Pringle & Co、1899年にRobert Pringle & Sonsとなる。【ロンドン】
ランデル(1746-1827)とブリッジ(1755-1834)による宝石、金細工商であり、1800年代初頭の最重要工房ともいえる存在である。1797年より王に品物を納め、1804年には王室の宝石と金細工を担った。銀器に関しては、ウェッジウッドの創業者ジョサイア・ウェッジウッドのデザイナーであるジョン・フラックスマン(John Flazman)などをデザイナーとして招聘し、銀製品を制作した。1802年よりベンジャミン・スミス2世(Benjamin Smith)の指揮のもとに銀器を制作、王室に納めた。1807年には、同じく王室御用達であり、当時最高の職人であったポール・ストールを招聘した。ジョージ3世、ジョージ4世、ウィリアム4世、ヴィクトリアといった歴代の王の銀器を担当し、その銀器は現在も王室に受け継がれている。
【ロンドン】【シェフィールド】
1789年にFenton Creswick & Coの工房設立が始まり。1795年にThomas Watson、James Fenton、Thomas Bradbury1世によりWatson & Coとなる。その後、Thomas Bradbury 2世とWilliam Watson による経営となり、Williamが引退後の1831年にThomas Bradbury & Sonと社名を変更、1855年にThomas Bradbury2世の息子であるEdwardとJosephによりThomas Bradbury & Sonsとなる。1905年にThomas Bradbury & Sons Ltdとなり、1943年にAtkin Brothersに買収される。【シェフィールド】【バーミンガム】【チェスター】
1845年、George Walkerによりシェフィールドに設立。1853年にHenry Hallが加わりWalker & Hallとなる。1920年にWalker & Hall Ltdとなり、1963年にエルキントンやマッピン&ウェッブと合併。
【ロンドン】
1814年〜1839年
※ヘスター・ベイトマン参照
有力銀器職人であったウィリアム・イーリー(William Ealey)とウィリアム・ファーン(William Fearn)。この二人による活動は1797年から1807年、そして1814年から1824年と2期ある(1808年から1814年まではウィリアム・チョーナー(William Chawner)が加わっている)。
【ロンドン】【シェフィールド】
William GibsonとJohn Langmanはゴールドスミス&シルバースミス社(The Goldsmiths & Silversmiths Co)の創設者。1880年に創業。1952年にガラードと合併。1898年までこのWGJLの刻印は使用された(年代で多少の違いあり)
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